1963年1月、Henry FORD IIと、当時Ford divisionの最高経営責任者Lee lacoccaは、同社の優秀性を示し、かつ若年層へのユーザ層拡大を狙い、本格的なモータースポーツへの参加をスタートさせます。既にCarroll Shelbyが、Fordエンジンを搭載したCobraを擁してレースに挑戦していましたが、基本設計時期の古いACエースがベースであり、Fordが求めるPR効果に充分とは判断されませんでした。

Fordは、それまでモータースポーツの経験が浅かったため、実績のあるチームとのパートナーシップを計画し、Ferrariを傘下とすべく行動を起こします。折りしもほぼ同時期に、FerrariからFordに対するアプローチもあり、思惑は一致するかに思われました。しかしながら交渉は急転、結果的には決裂し、Fordブランドのスポーツカー製作に転換することを決断しました。

開発初期のスタッフにCarroll Shelbyらを登用し、イギリスを前線基地として、LOLAに車台製作を依頼。その結果1963年のLondon racing car showに、試作車として4.7リッター V8エンジンを搭載したLOLA GTを発表し、同年8月にはレーシングスポーツカーの開発製作を目的としたFAV (Ford Advanced Vehicle)を設立しました。LOLA GTは、1963年シーズンに、1台がプライベートチームに供給され、2台はFORD GTのテスト車両として熟成。1964年、FORD GT (Mk I)として発表し、全高が40inchであることから"GT40"のニックネームで知られるようになりました。同年ル・マン24時間レースに参戦しますが、空力の熟成不足によって早々にリタイアを喫してしまいます。

1964年秋に、レースプログラムの総括責任者として、Carroll Shelbyと契約。開発はLOLAからShelby Americanへと移り、GT40は427ユニット(7リッター)を搭載する"Mk II"に進化します。"Mk II"は翌1965年初勝利。同年秋には新設計の"Mk IV"の開発が始まります。その後、"Mk II"は1966年にディトナ24時間、セブリング12時間、そしてル・マン24時間を1-2-3フィニッシュで制し、耐久イベントの三冠王となりました。1967年には"Mk IV"を投入、デビュー戦となったセブリング12時間を勝利、つづくル・マン24時間を連覇します。1968年シーズンは排気量を5リッターに制限するレギュレーションにより、"Mk I"が復活、1969年とル・マン24時間四連覇の偉業を達成し、その役目を終えました。

2002年、Ford創立100周年を記念して、Detroit showにて、往年のGT40のフォルムをリメイクした"GT40 concept"を発表、一連のコンセプトカーとは異なり、"FORD GT"の名で正式に市販化を決定しました。純レーシングカーとして誕生しながら、それを感じさせない優雅なスタイリングは、現在も多くの人々を魅了しています。 

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