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南方摩托股份有限公司
Naza Bikes Sales&Distribution Sdn Bhd
NCR S.r.l.
High performance motorcycles based on a Ducati powered base platform.
Neander Motors (an engineering company) / Neander Motorcycles.
1400cc Diesel engine motorcycle.
1400ccバーチカルツインターボディーゼルエンジンを搭載するオートバイ。エンジンは、振動軽減のために、1つのピストンにつき2本のコンロッドと互いに逆回転する2本のクランクシャフトを持ち、100馬力を発生する。
ツインクランクシャフトは既知の手法であるが、実際にバイクに使われたのは
Neander が最初である。
一方、車体重量は285kgと重く、フロントフォークをツインテレスコピック式とするなど、フレームの設計は極めて保守的である。2007年10月現在、モデルは試作段階である。
Daniele "Titus" Sabatini is owner, project leader and chief designer of the Nembo Super 32.
Nembo Super 32 は、2000cc 3気筒エンジンを上下さかさまに搭載したオートバイである。
プロジェクトを推進する Daniele "Titus" Sabatini によれば、エンジンを倒立させたのは、ネイキッドバイクに空冷エンジンを搭載するにあたっての「機能的および審美的な理由」であるという。実際にエンジンヘッドおよびシリンダーはシャシの構造部材を兼ねるものではなく、コンパクトなクランクケースがその役割を担うデザインである。
シングルカムエンジンの搭載方法が上下逆であるため、Nembo では動弁形式を「SUHC (Single Under Head Cam-shaft)」と呼んでいる。
Kaneda's motorcycle concept.
New Era Co., Ltd. and Field Motors Co., Ltd.
Pocket bikes, Go-peds and Mopeds.
Mini Scooter
消滅
同社の製品は中国で生産しているが、現地に日本人スタッフを雇用し、日本向け製品としてハーネスの太さ、タイヤの質、最終試乗評価出荷、そして輸送時のトラブル回避のため積み込みまで監視するなど、厳重な製品管理を行っている。
ファットボーイLPGは、プロパンガス・カセットボンベを燃料にした折畳み型レジャービークルスクーター。
Norton Motors Group (incorporates 3 Companies) / Norton Motorcycles (UK) Ltd.
1898年、James Lansdowne Norton (通称 "Pa" Norton) が創業。創業当初は二輪車の器具やパーツを製造した。1902年から、フランス製やスイス製のエンジンを用いてオートバイの生産を開始する。1907年、Rem Fowler が Peugeot 製エンジンを搭載した Norton を駆って第1回マン島TTレースの2気筒クラスを制覇する。1908年には単気筒および2気筒エンジンの自製を開始した。
1913年には事業不振となるが、R.T. Shelley & Co. が主要な債権者となって持ち直す。ほどなくして James Norton と Bob Shelley によって "Norton Motors Ltd" を設立。1914年、現在に続く Norton のロゴ "the curly N" が登場する。ロゴをデザインしたのは、Norton と娘の Ethel であると言われ、Ethel はまた、Norton のテストにも関わっていた。
1925年、"Pa" Norton が逝去(56歳)。1927 年、Walter Moore が OHV 機構のエンジン CS1 を設計。Moore は 1930年に NSU に移籍するが、後任の Arthur Carroll が OHC エンジンを設計する。このエンジンは後の Norton OHC と DOHC の基礎となった。1934年までに Sturmey-Archer の撤退したギアボックスおよびクラッチの意匠権を取得。第二次世界大戦時1937年~1945年において、イギリス軍のオートバイの 1/4 (10万台以上)が Norton 製であった。
1950年、McCandless 兄弟の設計したフレーム "Norton Featherbed" を採用した "Manx Norton" が登場する。Manx Norton は、前年の世界選手権で不調に終わった Norton の栄光を取り戻し、Norton Featherbed は "Dominator88" や Triumph 製エンジンを搭載した "Tritons" など、市販車にも応用された。
一方で Norton は財政難となり、AJS, Matchless, Francis-Barnett, James のブランドを所有する Associated Motor Cycles (AMC) に売却。創業来の工場を閉鎖して、AMC の工場に生産拠点を移した。結果として部品共有によって、懸念されていたギアボックスの問題が無くなり、1956年には "Dominator 99" 、1962~1963年には "Manx Norton" といった名車を発表した。反面、アメリカ市場に向けて650ccを超えるエンジンを投入し、エンジン出力を上げた結果、それまで問題とならなかった Featherbed に「4500回転の振動問題」が現れるようになった。さらに 750cc の Atlas はコスト高であり、財政問題が頻発した。Featherbed の振動問題に対して AMC は Matchless 製フレーム G85CS、Atlas エンジンとホイールやフロントフォークを用いてブランド間の共有モデルを開発、1963~1969年に Norton P11、AJS Model 33、Matchless G15 として販売を開始した。これとほぼ同時期、AMCの単気筒オートバイを Norton ブランドで販売した。また Francis-Barnett 製のフレームと駆動部を用いて新設計の小排気量2気筒エンジンを搭載した "Jubilee 250" および "Navigator 350" を発表したが、信頼性に乏しく、AMC全体の評判を落とすことになった。
1966年、AMCは破産し、Manganese Bronze Holdings Ltd. の傘下となり "Norton-Villiers" として再編された。Featherbed の見直しの成果として "isolastic frame" を開発、1969年に、"Norton Commando 750" として世に送り出された。エンジン・ミッション・スイングアームおよび後輪を一体化して、フレームとの接続にはラバーマウントを介することによって、Featherbed で発生した振動問題を軽減した。しかしながら、ベアリングに組み入れたシムの錆によって高速旋回時にリアが左右に振れるという問題を残した。1972年1月には、新開発の "Combat" エンジンを発表したが、高性能を志向しながら信頼性に乏しく、日本車との比較において大きなデメリットとなった。
1972年、同じイギリスの BSA も財政難となり、1973年にイギリス政府主導で Norton-Villiers と合併、"Norton Villiers Triumph (NVT)" を組織した。しかしながら、政権が保守党から労働党に交代したことで政府援助は削減され、工場の合理化政策は Triumph の労働争議を引き起こした。1975年、NVT は破産し、販売車両を Mark 3 Interstate と Roadster の2種類に縮小、1976年にはレースからも撤退したが、政府が貸付金の返還を求めるようになり、信用保証が取り付けられず輸出ができない事態となった。1977年に NVT は清算され、その権利は世界各国に分離した。
Manganese Bronze Holdings Ltd. の系統であった Dennis Poore は、Shenstone に拠点を置く "Norton Ltd. (後の Norton Motors International)" において、Yamaha をモチーフとしたオートバイをごくわずかに生産した。1988年、Norton Ltd. は、Lichfield にて、まったく新しい "Norton" を登場させる。ただし民生車としてではなく、RAC plc. や警察に向けたフリート・セールスとして、2ローター ヴァンケル・エンジンを搭載した "Interpol 2" を販売した。同年、民生モデルとしてヴァンケル・エンジンを水冷化した "Commander" を発表する。1991年にはブリティッシュスーパーバイク選手権に参戦し、1992年にはマン島セニアTTを制覇。このときのレースマシン RCW588 のレプリカとして Spondon 製フレームを採用した F1 を販売した。ところが、財務担当者であった Philippe LeRoux を中心とした投資の不正運用が発覚する。結果として、1991年、Midland Bank は700万ポンドの未払い債務を管理する目的で David MacDonald を最高経営責任者に任命した。MacDonald は、会社を Wildrose Investments に売却、Wildrose のオーナーである Nelson Skalbania は、会社を "Norton Motors (1993) Ltd." として再編し、Skalbania の 娘である Rosanda が事業部長となった。Wildrose のもとでは、展示品として博物館に貸し出した Triumph や Norton の再利用を試みたが、所蔵する博物館はこれを拒否した。Wildrose は、投資の回収が困難であるとして、1994年に会社を Aquilini Investments へ売却、1996年までに Shenstone のオフィスを閉鎖し、サービスを Startright Motors および Reg Allen Motorcycles に譲渡した。以後、同社は軽飛行機用ロータリーエンジンの部品製造および Norton のヴァンケル・エンジンモデルのアフターサービスを主としている。このときの社名は Norton Motors International であったが、1998年に社名とオートバイに関する商標権を後述の Aquilini Group に売却して、社名を Norton Motors Ltd. に変更している。
ドイツを中心とした Norton の輸入元であり、ヨーロッパの殆どの国で商標権を有する Joseph Seifert は、1989年に Norton Motors Ltd. とのジョイント・ベンチャーとして "Norton Motors Deutschland" を設立。Dave Pears が設計し、イギリスで製造した Norton C652M を販売した。C652M には、BMW F650 のエンジンが搭載された。2000年、Seifert は、CCM の Combat 650 の製造に関わっており、CCM に搭載される Rotax エンジンを用いた Norton の再興を計画していた。ただし、ヨーロッパにおける商標権は、2003年に Kenny Dreer に売却している。
その後、Norton Motors International (NMI) の社名と、NMIが所有する北米大陸/英国での商標権は、アメリカを拠点とする Aquilini Group が取得した。新生 NMI は、2000年に Al Melling が設計した 1479 cc V8 の大型オートバイ "Nemesis" を公開する。Nemesis は、280hp の最高出力から最高時速 360 km/h を標榜した。さらに、単気筒 750cc と 600cc エンジンを搭載する下位モデルの計画を明らかにしていたが、NMI は出資者を獲得できずに事実上崩壊した。
2002年、オレゴン州を拠点とする "Norton Motor Sports" は "Norton America" を設立。Norton のエンジンブロックをベースとして "VR 880 Norton Commando 952" を開発した。オーナーである Kenny Dreer は 2003 年に Norton Motors Deutschland の Joseph Seifert から商標権を取得している。また NMI が所有していた北米大陸での商標権も Dreer が取得したと考えられる。Commando 952 は、Commando 961 に発展したが、2006年4月に操業を停止している。
2005年、かつての Norton Ltd. の従業員らがストック・パーツから9台の "Norton F1" を製作した。
2008年10月、Norton Racing Ltd. (旧式の NRV588 をベースとしたレーサーを製作していた)のオーナー Stuart Garner が、"Norton", "Manx", "Atlas", "Commando", "Dominator" の商標権を取得。Norton Motorcycles (UK) Ltd. を設立して、2009年に "Commando 961" を引き継ぐことを発表した。
Novakinetics Motors.
The exclusive manufacturer of the NK1 Electric Motorcycle.