文書作成術 --- 文章を上品に磨く15の心得

概要

我ながらなんと大それたタイトルかと思います。「浜田雅功『勝つためのゴルフ』」みたいなものです。浜田さんが「アマチュアの皆さんは…」なんて喋る。そんなことをやろうとしています。はっきり言って、書くことについて私の自信は皆無です。「わかりにくい」「あいまいだ」「冗長だ」と怒られまくって、ある時期キーボードを打つことさえも恐怖に感じた私が、「指南書に必ず書いてあること」や「これまで受けた指導のキモ」をまとめました。座右に置きながら文章を書けるように。

この解説の特徴は、良い文章を書くための文法的な法則や数値による基準を原則的に設けているところです。例外なき原則はありませんが、みなさん一人一人にとっての「良い文章」を追求するきっかけになればと思います。

「良い文章」とは

ひとえに「良い文章」といいますが、良い文章は何が「良い」のか。アメリカの文章作法に「エコノミック・アテンション」というものがあります。手間をかけずに読んでもらうということです。読み手を疲れさせずに自然と理解してもらえる、読んでいて「煩わしくない文章」。そのような文章からは「品の良さ」を感じ取ることができます。表現力・演出力はまず置いておいて、正しいことばづかい、リズム感、見た目を整えることによって、あなたの文章をさらに「品の良い文章」へと磨いていく作業です。以下に「心得」を列挙しました。次の項からそれぞれについて解説していきます。

完成度は6割程度で一区切り…まずは魂込めて書く

「どこまで仕上げればいいんだろう」…文章を書くとき、必ずといって良いほど突き当たる壁です。100%仕上がるに越したことはありませんが、それは理想論であって、心得を守ったところでいきなり完璧な文章が書けるというものではありません。文章は、書いた後のチェックが必要なのです。良い文章を書こうという意思や努力は必要ですが、良さを突き詰めていくことに終わりはありません。文章が整うことで新たに見えてくる問題点もあります。

「良い文章を読め」だの「書きまくって覚えろ」なんていう指導は、当事者意識からかけ離れた傲慢ではないかと思うのです。「良い文章」の概念もないのに文章の良し悪しを認識することなど困難なはずです。当の私も、「6割」と言いつつ100%がわかりませんから、「6割」もわかりません。ハッタリです。まずは書かずにいられない気持ちをダイレクトにぶつけていくこと。これを「6割」としましょう。闇雲であってもそれがあなたの個性を反映するものであり、文章を作り上げていく「土台」として非常に尊いものなはずです。文章を整えるという大義名分で個性をつぶしては、当のあなたが納得しないでしょう。

さしたる修正点も見つからないまま「もっと良くなるはず」とアラ探しをしだすと、直したところのつじつまが合わなくなってくるということがあります。「上から自然に読み進められるように」意味のまとまりをざっと直す、「斜め読みして引っかかるところ」「何となくおさまりの悪いところ」「主張として守るべきところ」ををチェックしておく。これを「1割」にしておきます。無理やり問題点をあぶりださずに、ちょっと斜に構えて、「自分の書いた文章もまんざらじゃないな」というところで止めておきます。そして次から示すポイントによって文章をチェックする作業を、残り「4割」とします。

「リズム」を整える

音読という観点から、文章は「聞くもの」。ならば、リズムに乱れのない文章を心がけましょう

形容詞・副詞は「主語-述語の係り受け」にせいぜい1つ

形容詞、副詞といった修飾語をできるだけ省いて簡潔に書きましょう。過剰な修飾語の羅列は、主語と述語を遠ざけてしまい、却って感動を薄めてしまいがちです。文を構成する「主語-述語の係り受け」を節といいますが、形容詞・副詞は一節あたりせいぜいひとつが限界のつもりで。ビジネス文書を書くのなら「修飾語は不要」だと思って良いでしょう。

指示語は「代示に書き換える」か「対象の近くに置く」

「あれ」「それ」「前者」のような指示語を使いすぎると、読み手は指示語が指す対象を探さねばなりません。対象を探すことで、文章を前後に行き来しながら読むことになり、理解に手間取ることになります。読み手に間違った解釈をさせる可能性もあります。指示語は、できるだけ代示(指示語+対象)に書き換えるか、対象の近くに置くようにしましょう。以下に例文を示します。

例文 新車を買った。納車の日は朝から家族みんながそわそわしていた。これは初めてのことだった。

例文以前の出来事から読み取れるのであれば問題はありませんが、この文自身からは「初めてのこと」について様々な解釈を生みます。

意味がひとつに定まりません。新車を買ったことが初めてであるなら、書き手が意図しない理解をされる可能性があります。次のように書き換えたほうがわかりやすくなるでしょう。

代示 新車を買った。納車の日は朝から家族みんながそわそわしていた。こんな買い物は初めてのことだった。
対象の近くに置く 新車を買った。これは初めてのことだった。納車の日は朝から家族みんながそわそわしていた。
代示に書き換え、対象の近くに置く 新車を買った。こんな買い物は初めてのことだった。納車の日は朝から家族みんながそわそわしていた。

接続詞は800~1000字中に1つまで

接続詞が頻出すると、なめらかさや速度感をそこなって、ギクシャクした印象を与えてしまいます。接続詞は「思考のつなぎ目」であり、使うにはそれなりの理由が必要です。たとえば、後に導く文との関係を予告するために逆接の接続詞は必要なものです。一方で段落の意味のまとまりを手掛かりにして話題の転換を理解できるような文章ならば、転換の接続詞を多用する必要はありません。安易に接続詞を多用せず、接続詞を飛ばしても意味が変わらないものは思い切って省きましょう。800~1000字中に2つ以上出てきたら「多すぎ」と理解してください。

接続詞を使わないと不安になるものですが、接続詞は無くても文脈はつながるものです。ビジネス文書を読んでみてください。接続詞はまず見当たらず、短い文の積み重ねで構成していることがわかると思います。接続詞を省いたことで意味がわからなくなるのであれば、まず文脈を疑ってみましょう。

参考:主な接続詞

もしかすると私たちは接続詞についての理解がおろそかだったのかもしれません。改めて「接続詞」ってどんなのがあっただろうと考えて色々ななサイトを調べてみたところ、副詞(「たとえば」など)、接続詞的に用いられる名詞・連語(「その結果・というのは」など)を接続詞に含めるケースを見受けます。以下の表に接続詞の用途と主な例を挙げました。

用途 接続詞
順接…当然の結果 だから・それで・ゆえに・そこで
逆接…相反する事柄 しかし(しかしながら[フォーマルな文章ではこちらを使います]
・けれども・なのに・だが・それでも(でも)[条件の逆説]
並列(並立)…対等の関係 および・ならびに・そして・また・おなじく
添加…付け加え そして・さらに・そのうえ・なおかつ・かつ[並行する場合]
・しかも[強調する場合]・それどころか[否定的な表現の強調]
説明…文脈の言い換えや例示・補足 つまり・すなわち・なお[補足する]・ここで(そこで)[強調して補足する]
・なぜなら(だって)[原因・理由]
・ただし[逆説的]・とはいえ[逆説的]・もっとも[否定条件を導く]
選択…複数の中から選ぶ または・もしくは・あるいは・それとも・ないし(ないしは)[範囲を示す場合]
転換…話題を変える ところで・さて・そこで
・では(それでは)[展開]・ちなみに[話の本筋ではないが多少の関連がある場合]
・しかし[「-すごいね。」や「-これからどうするの?」のような文を導く場合]

同じ言葉を繰り返さない

同じ言葉を繰り返し使うことは、文章のリズムを乱し、ぎこちない印象を与える原因となります。

自立語は表現を変える

自立語の繰り返しを避けるには、語彙を増やすことが最善です。
自立語とは、名詞・代名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞の総称です。
例えば「読む」という言葉ひとつとっても「ページをめくる、ひもとく、活字を追う」といった言い換えができます。文書を書くときに辞書を傍らに置いたり、普段から他の人が書いた文章に目を通したりすることが解決の近道になります。印象的な言い回しを見つけたなら、メモを取っておくと適切な表現を見つける手助けになることでしょう。

同じ語尾は避ける

語尾に変化を持たせることで、テンポよく文章を読めるようになります。常体ならば「だ・である調」という言い方をされるように「~だ。~である。~だ。」と語尾に変化をつけていきます。

「~を行う」→「~する」の書き換え

「~を行う」という語尾表現も、多用すると回りくどい文章になります。意味が変わらないときには、「~する」と書き換えることを考えましょう。

重ね言葉は避ける

「白い白馬」や「もう一度再考する」のように同じ意味の言葉が二重に現れているものを重ね言葉といいます。冗談めいて使う場合もありますし、一部はすでに認められているものもありますが、通常は片方を削るか書き換えるのが肝要です。

逆接の接続詞を繰り返さない

短い文章で、「しかし」「だが」のような逆接の接続詞を繰り返すと、主張が伝わりにくくなります。たとえば、ある話題に対して問題点を指摘し、この問題点を打ち消すように結論付けたとしましょう。

この三叉路を右に曲がるのが、目的地までの近道である。
しかしその道はとんでもない悪路だ。だが愛車は四輪駆動なので心配はない。

この文から、逆接の接続詞を減らして、次のように書き換えました。

この三叉路を右に曲がればとんでもない悪路だ。
しかしその道は目的地までの近道である。愛車は四輪駆動なので心配はない。

どうでしょうか。逆接の接続詞を減らすことは、話題の展開を整理することです。

同じ助詞を繰り返さない

ひとつの文中に「の」を3つ以上つなげると、係り受けがあいまいになって意味の取りづらい文章になります。次の例文の「私の」は「故郷」だけに係るので「我が」などに書き換えることで係り受けがはっきりします。

故郷伝統祭り

「が」や「は」が2つ以上ある文は、しまりのない表現になるといわれています。次の例文の「が」はそれぞれ別の助詞や接続詞に書き換えることができるものです。

煮て食おう焼いて食おう自分好きなように決めたい

二重否定を避ける

二重否定は回りくどい感じが残る言い回しになります。これも例を挙げてみます。

  例文A  例文B 
二重否定  幸せを求めない人などいない 言葉の意味を誤解している人が少なくない
肯定文 誰もが幸せを求める 言葉の意味を誤解している人が多い

ただし、「無くはない」が「少しはある」を意味することがあるように、部分的な肯定を意図するならば、無理に二重否定を直す必要はありません。

受け身表現は極力使わない

文章を書き慣れていない人は、受け身表現を多用しがちです。しかしながら、受け身表現を使うことで、主語と述語が離れて動作の主体が分かりにくくなったり、リズムが悪くなって読みにくくなったりします。客観性・慎重性を出すあまり弱腰で説得力に乏しい文章となることもデメリットです。

大事な点は、主語が話の主人公だということ。「私はこの本を買った」と「この本は私に買われた」は、単純に同じ意味ではないということです。受け身で表現するには、次に挙げるようにそれなりの理由が必要です。

受け身にする理由 例文 説明
行為者が
決まりきっている
年賀状が配達された。 配達したのは郵便屋さんです。当たり前の情報は必要ないので受け身表現になります。
主語が不明
出来事を強調する
彼は財布を盗まれた。 犯人がまだわからないので受け身表現です。
盗んだのは泥棒ですが、「盗まれた」ことを強調するため受け身表現になります。 
特別な出来事  1000点を超える応募の中から、
彼女の作品が最優秀賞に選ばれた。
「選ばれた」ことが特別な出来事であることを強調しています。
主語が影響を受ける 残留するか離脱するか、
私は決断を迫られた。
ある行為によって、主語が指し示す対象が何らかの影響を受ける場合は、その行為を受け身で表現します。

先ほど例に挙げた「この本は私に買われた」について考えてみましょう。雑誌や文庫本などを買ったのであれば、「この本」に特別な価値は無く、私が買ったことでなんら影響を受けることは無いでしょう。したがって受け身表現とすることは適切とはいえません。受け身で表現するのは、文化的価値の極めて高い本をオークションから高値で落札したような場合が妥当です。

受け身表現でも能動的な表現でも、意味が変わらないなら受け身表現は避けましょう。たとえば、

両方とも意味の違いはなく、受け身表現を使わなければならない理由は見当たりません。

ところで、なぜ受け身表現を多用してしまうのでしょう。私は次の二つの原因があると推測します。

「デザイン」を整える

黙読という観点から、文章は「見るもの」でもあります。特に日本語の文章は、漢字と仮名の組み合わせによって、目で見る楽しさがあります。ここまで述べてきた「リズム」を整えることは、文章をより美しく見せることにもつながります。

文は短く構成する

文章は、読み手が最後まで読むものとは限りません。長い一文は敬遠されやすいものです。一文を短く構成することは、手間をかけずに読んでもらうための近道です。ビジネス文書などは箇条書きでも良いくらいですし、報告書のように「相手が半ば義務感で読まねばならない」ような文章ならばなおさらです。

「リズムを整える」の項で、形容詞や副詞、そして接続詞の多用を避けると書きましたが、それは文体を簡潔にすることにもつながります。皮肉やユーモア、起承転結の飛躍は、簡潔な文体であるほど効果的です。さらに一歩進んで、簡潔な文章が単調にならないように試行を重ねていきます。その工夫が「表現力」として身に付くでしょう。

書き出しの文は30字以下

書き出しの長さは、文全体が一目で見られる目安として「30字」と定めました。興味を引き、一気に読んでもらえるかは、書き出し文の印象にかかっています。

時制を軽んじないこと

過去の出来事を現在形で書いてないか(ルポルタージュのような文章では、臨場感を演出するために、敢えて現在形を使うことがある)

複文は修正を試みる

複文(複数の述語を持つ文)は、主語と述語の係り受けが明確になるように、なるべく書き換えや分割を考えましょう。次に挙げるのは、読み手の経験によって一意に理解できる文章ですが、論理的なあいまいさが残る複文の例です。

例文 読み手の経験と理解 論理的にあいまいな点
寝坊したために遅刻した回数は少ない。 寝坊したことによって
遅刻の回数は減るはずがない
という常識
「寝坊したために遅刻した」のか「寝坊したために回数は少ない」のかがわからない構造です
子どもらはソフトクリームを食べながら買物をしている母を待った。 - ソフトクリームを食べるのは
    子供という何気ないイメージ
- ソフトクリームを食べながら
  買い物はしないだろうという常識
ソフトクリームを食べているのが「子供ら」なのか「母」なのかがわからない構造です。

段落(パラグラフ)は4~5文(センテンス)で構成する

「4~5文で1段落」とは、我ながら思い切った設定だと思います。これは、「手間なく読むために簡潔な文を心掛けるなら、段落も簡潔な構成を心掛けましょう」というニュアンスで理解してください。ここでは、字下げごとの「形式段落」ではなく、意味内容でまとめた「意味段落」について示します。

時間や空間または論理の順序を整えることによって、それぞれの段落が文章の流れを理解するための手掛かりになります。段落の意味に影響しない文は、思い切って削除するか、他の段落で書くことになります。こうした段落に関係しない話題は、段落を簡潔に構成することによって見つけやすくなります。

段落を構成する文には、それぞれ次のような位置づけがあります。

主題の位置は文章を構成する目的によって異なります。

主題を定めることが段落を構成する第一歩です。主題が的確であれば、段落の最初(または最後)の文だけを切り出して、それらを順につなぐことによって、あらすじとして意味の通るような文章になるでしょう。

時として段落は話題の飛躍を演出することがあります。こうした飛躍に対して、読み手は段落と段落の間に書かれていないものを読み取ろうとします。段落の構成が簡潔であるほど、現象に対する書き手独特の視点の深さや広さが伝わります。

一般論・引用文は最小限に

読み手は、書き手独特の観察眼・感覚・視点を求めており、他人の文章に自分の主張を代弁させるのは賢明ではありません。

10字弱の間隔で打っている読点(「、」)には要注意

読点の乱用は、読み手の呼吸を乱したり文章のなめらかさを損なったりする原因です。読点は書き手の呼吸を反映するものではありません。文脈がはっきりしないところに打ち、一気に読めるところまで打たないことを原則とします。10字弱にひとつの読点があった場合は、煩わしい文になっていないか確認してみましょう。

漢字:かなの比率は2:3で

漢字の多い文章は黒っぽく視覚的に重い文章に見えます。対してかなの多い文章は軽く見えます。文章のイメージを演出するためにも、漢字とひらがなのバランスに気を配ることを忘れずに。参考資料の中には、経験的に 「漢字:かな = 2:3」 が読みやすいという言及がありました。妙に納得させられる一言です。

漢字で書くものは原則常用漢字のみとし、漢字が多すぎるようならば次の手順で減らしていきます。

  1. 慣例的に用いない当て字…呉呉も(くれぐれも)、目出度い (めでたい)、流石に(さすがに)
  2. 副詞…凡そ(およそ)、確かに(たしかに)、勿論(もちろん)、成る程(なるほど)、滅多に(めったに)、決して(けっして)、可也/可成り(かなり)
  3. 接続詞…然し(しかし)、又(また)、而も(しかも)、従って(したがって)
  4. 形式名詞…筈(はず)、事(こと)、為(ため)、程(ほど)、際(さい)
  5. 複合動詞や連語など二つの単語が結びついているものは、重要でないほうの動詞をかなで書く…出て来る、言って見た、申し上げる、揉め事
  6. 「相応しい」「幾分・幾等か・幾ら」をかなで書く
  7. 「~の様に」「~に於いて」をかなで書く
  8. 「元々」「出来る」をかなで書く
  9. 「御」はかなで書いてもよい場合にはかなで書く
  10. 他の表現に書き換える…「約~」は「およそ~」や「~くらい(かかる)」に

かなが多すぎるようであれば、手順を逆に追って漢字を増やしていきます。

「~する」の書き換えの例

ここでは先の手順の、他の表現への書き換えについて説明します。「同じ言葉を繰り返さない」の項で、「~を行う」から「~する(サ変動詞)」への書き換えを示しました。これをさらに別の表現に書き換えることによって、漢字を減らすのみならず、文の硬さを抑えたり、さらに短く表現することができるようになります。

「位置する」→「ある」 「意味する」→「いう」 「開始する」→「始める」 「終了する」→「終わる」
「確認する」→「確かめる」 「記述する」→「示す」 「使用する」→「使う」 「考察する」→「考える」
「機能する」→「働く」 「混入する」→「混ぜる」 「採用する」→「採る」 「作成する」→「作る」
「構成される」→「成る(なる)」 「支持する」→「支える」 「取得する」→「得る」 「充当する」→「あてる」
「接続する」→「つなぐ」 「選択する」→「選ぶ」 「挿入する」→「入れる」 「測定する」→「測る」
「注意する」→「気を付ける」 「比較する」→「比べる」 「満足する」→「満たす」  
「嵌合する」→「はめる」「はめ込む」「はめ合わせる」 「矛盾する」→「(つじつまが)合わない」
「軽減する」「低減する」→「減らす」 「増加する」「増大する」→「増す」「増える」「増やす」
「理解する」→「分かる」「受け止める」  

見直しは400字あたり2~3回…その他のチェックポイント

ここまで、「リズム」と「デザイン」の観点から文章を書くときの心がけを示してきました。でも、まだ終わりではありません。文章は書きっぱなしにせず、必ず見直しを行いましょう。ここまで述べてきたことは、見直しの際のチェックポイントとしても目安になります。

本来ならば、これから挙げるポイントは最初にチェックすべきことかもしれません。しかしながら、語句→文→段落と形を整えていくことで、改めて浮かび上がる「アラ」もあります。したがって、見直しは1回限りではなく、さまざまな観点から回数を重ねることが必要になります。ここでは、見直しの回数の目安として、400字あたり2~3回を原則としました。第一段階は「リズム」と「デザイン」の見直し。第二段階は「意味のつながり」の見直し。第三段階は「最適な表現を追及する」ための練り直し、と段階を踏んでいきます。

ここからは「意味のつながり」という観点でのチェックポイントを挙げていきます。

難しい言葉は避ける

 難しい言葉づかいは単なるこけおどしに過ぎません。分からないのは読み手だけに原因があるのでしょうか。ひょっとしたら、書き手こそが主題を把握していないため、それを読み手に悟らせないように敢えて難しい表現を使うことによって知的に飾っているかもしれないのです。

というわけで書き手の立場になったなら、必要以上の短縮語・めったに用いることのない複合語や外来語・専門用語などは、説明を加えるか、平易な言い回しに書き変えましょう。

知識に頼ると読み手に理解を強要してしまい、しばしばせっかちになったり、自分だけが酔ってしまったりと、往々にして独りよがりの文体になってしまいます。「勉強が足りない」だの「行間を読め」だの書き手の傲慢ぶりに辟易とした経験はないでしょうか。一歩下がって、どう説明すれば分かってもらえるかを探ってみましょう。それは読み手との駆け引きを楽しむことでもあります。…そういう私自身も際限なく駆け引きを楽しめるほど穏やかな人格を持ち合わせてはいないんですが。

文を構成するときの原則…語順・主語

文章を書くのは、書かずにはいられないからです。なので、どうしたって強調したい語句から並べていきがちになります。それは仕方のないことです。言いたくてしょうがないんですから。そこで以下に一文の構成原則を挙げます。

主語・述語・修飾語の場所

まずは「語順」です。言わずにはいられない気持ちを少し抑えて、パズルを組むように一文一文を見直します。一番分かりやすくなる語順を探して修正してみましょう。

「自分のこと」の主役は「自分」だけではない

述語は動作、作用、性質、関係を表します。主語は「述語が表すことにおいての主役」です。とはいえ、主語が「あるものごと自身」にならないように注意を払わねばなりません。たとえば自己紹介文です。このとき、主役は「私」だけではなく、「私の情報」も駆使する必要があります。「私自身」だけを主役にしてしまうと「私は×××である。私は×××と思う。私は×××と考える。」のように、「私は」を多用することになります。自己紹介において「私」のことが書いてあるのはわかりきったこと。「×××」の部分に、主語とすべき「情報」が隠れていないか探してみましょう。

あいまいな表現の法則

ここまで説明した「難解な表現」や「主語と述語の係り受けが明確ではない文」のほかに、「情報が不足している文」や、「形式名詞の多用」は、意図を弱めたり、論理的に複数の解釈が起こったりします。これを総称して「あいまいな表現」といいます。このように「あいまいさ」にはいくつか異なった原因があるのです。もしかすると「あいまいな文章だ」と評する中には、その原因があいまいになっていて、どこをどう直すべきかを指示できない場合があるかもしれません。

…愚痴はほどほどにして、いくつかの例を示します。

「ように」+否定形

「ように」+否定形の構成は、「ように」の対象を肯定しているようにも否定しているようにも取れる文章になります。例文を示します。

私は父のようにやさしい人間ではない

この文において「ように」の対象は「父」です。問題は、父がやさしいのかそうでないのか、両方の意味に解釈できる点です。

事前に父の人柄が明らかであれば、例文は決まった解釈ができます。しかしながら、例文そのものは論理的にあいまいな文といえます。

「および」と「または」の並列

「および」と「または」の並列も、論理的にあいまいな文です。

この仕事を担当するのは、鈴木および佐藤または高橋。

この例文では、高橋さんは「佐藤さんの代わりに」担当するのか、「鈴木さんと佐藤さんの代わりに」担当するのかが分かりにくくなっています。

「~し」か「~して」か

これについては苦い思い出があります。レポートで「~し」「~を含め」なんて書いた日には、決まって「~し」「~を含め」と朱書きで修正を受けました。それも筆圧と文字の雰囲気からうかがえる強い調子で。言い回しが砕けているのかと思って、機械的に「て」をつけるようになりましたが、どうやらそうでもないことがわかってきました。次の2つの文章を比べてみます。

  1. 傷口を消毒し、清潔にした。
  2. 傷口を消毒して、清潔にした。

両方とも時系列を意識しています。つまり、先に「消毒する」、後に「清潔にする」です。2つの文は同じ意味に感じますが、1.の用法は誤りで、2.が正しい用法です。1.の用法は「連用中止」といいます。連用形に読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法です。2.の用法は「活用語の連用形+完了の助動詞『つ』の連用形『て』」です。動作・作用・状態が継続または引き続いて起こることや、事態・状況や関連する物事、原因・理由そして方法・手段を表します。

このことを踏まえて、もういちど2つの文章をみてみましょう

  1. 傷口を消毒し、清潔にした。:連用中止
    …「消毒してから清潔にした」という文脈を生みます。「消毒したこと」と「清潔にしたこと」は並列の関係です。前後の言葉の意味によって因果関係や手段・目的関係を示すこともありますが、連用中止は時系列に並べるという意味しかありません。
  2. 傷口を消毒して、清潔にした。:活用語の連用形+「て」
    …「消毒することによって清潔になった」という文脈を生みます。「消毒したこと」と「清潔になったこと」は時系列的に大きな意味があり、「消毒したこと」の影響を受けて「清潔になったこと」を示しています。

2.の用法について、もう少し述べます。

  1. 服を洗濯機に入れ、部屋を掃除した。
  2. 服を洗濯機に入れて、部屋を掃除した。

どちらも誤りではなさそうです。ところが、動作の順序を逆にしてみると新たな理解が生まれます。

  1. 部屋を掃除し、服を洗濯機に入れた。
  2. 部屋を掃除して、服を洗濯機に入れた。

服を洗濯機に入れて、洗濯している間に掃除したほうが効率的なのに…と感じるでしょう。「服を洗濯機に入れて、部屋を掃除した。」という言い回しには、順序に大きな意味があることを示しており、「服を洗濯機に入れ、部屋を掃除した。」のほうが用法として適切であることを示しています。

連用中止を多用することは、文章を長く複雑にしてしまうデメリットがあります。前後の影響の有無や、順序付けの意図が分かりにくくなることで、論理的にあいまいな文章と判断されてしまうのです。

「的」「性」の魔術

「~的」や「~性」などを使うことで、必要な説明を忘れてしまっているかもしれません。次に例文を示します。

例1: 「~的」・「~性」を用いた表現
  • 彼は個性的だ。
  • 私は新商品の可能性を感じた。

これらを、少々強引ですが「~的」・「~性」を用いない表現に書き換えてみます。

例2: 例1の「~的」・「~性」を用いない表現
  • 彼は個性がある。
  • 私は新商品ができると感じた。

例2に対して例1を見てみると、「個性的」や「可能性」を使うことによって、「彼」や「新商品」の説明を補うように機能するため、係り受けがすっきりした文章に感じられます。逆に例2の表現では、「個性」や「できる」の目的語がないため、収まりの悪さを感じる文章になります。例3では、例2に目的語を追加してみました。

例3: 例2に目的語を追加
  • 彼は何か個性がある。
  • 私は新商品が何かできると感じた。

目的語を付けたことで、収まりが良くなりました。そして新しい問題が浮かび上がります。「『何か』って具体的に何??」ということです。例4では、例3を「~的」・「~性」を用いて書き換えます。

例4: 例3に対して「~的」・「~性」を用いた表現
  • 彼は何か個性的だ。
  • 私は新商品が何か可能性があると感じた。

「~的」や「~性」などを使うことで収まりの良い文章になったとしても、「何か」の具体的な説明を忘れていないか注意してください。

「たくさん書いて後から削る」のは何のため?

文章を書く極意として「要求の1.5~2倍書いてから削る」と良く言われます。でも、ここまで「接続詞を削れ、修飾語を削れ、文は短く、段落は簡潔に」と説明してきました。私としては、そこからなお「1.5倍は書いて文を削れ」とは煩わしいように思うのです。

「文の刈り込み」の本質は「必殺の一語を見つけ出す」ことであると考えます。これは表現力を養うことにつながります。文を削った結果、なお描写に物足りなさを感じるならば、それは書き足りないのではなく「必殺の一語」が無いということ。削り落とした部分は読み手の想像にゆだねることになりますが、想像を喚起したり、正しく理解してもらったりするには、これぞという「必殺の一語」の追求がカギになります。

コンピュータだって侮れない

校正作業などをコンピューターに頼りきって文章に目を通さないのは考えものですが、かといってコンピューターを悪者にするのは得策ではありません。

誤字、脱字、言葉や表現の誤用(「願わくば」ではなく「願わくは」など)そして表記のゆれ(「データー」と「データ」といった表記の混在)などは、ワープロソフトがその場で指摘してくれます。文章ができたら、音読してリズムの崩れがないかを確認したいところですが、音声合成ソフトを使って確認するのも妙案だと思います。

注意すべきは「コンピューター任せにしないこと」。コンピューターが長けているのは「計算」「素早く探すこと」そして「記録された情報をそのまま返すこと」だと理解すべきです。コンピューターが指摘したことが正しいかどうかを確認するのは、文章を書いたあなたです。

まとめに代えて

このページを作っていて思ったのは「文法の大切さ」です。コミュニケーションにおいて文法を意識することはまずありません。ところが良い文章の法則性を追求していくと、どうしたって文法という厳格なルールから逃れられないと気付かされました。ここまでで挙げていない意外なルールもあります。

といったものです。ともすれば「どうだっていいじゃない」と思いがちですが、日本語に厳しい人を相手に生半可な言葉づかいでは太刀打ちできないのも現実です。懸念は取り除く。文法を基にした法則を武器にして、あなたの書いた主張が伝わるか否かだけを焦点に、誰とでも対等の立場で書き、読んでもらうことができます。

何をおいても大切なことは「自信を持って書くこと」。ここに示したことは、やる気を取り戻すきっかけになった「私の武器」です。最初は他人の武器を借りていても、使い込むことで自分の物差しが磨かれて、あなたに合った武器へと進化していくでしょう。

参考資料

更新履歴

2008/12/18: 作成


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